実務・現代ビジネス

賃を半額にした実際の交渉 ── ネゴシエーション理論の使い方

結論から言います。「家賃を倍にしたい」と言ってきた相手から、僕は逆に家賃を半額にしてもらいました。 怒鳴ったわけでも、ゴネたわけでもありません。前回お話ししたPICO・ETCというフレームワークを、ただ淡々と使っただけです。

フレームワークは、覚えただけでは意味がありません。実際の交渉でどう効くのかを見て、はじめて自分の武器になります。今回は、僕が実際に行ったビルオーナーとの家賃交渉を、一幕ずつ追いかけます。前回の理論編(BATNA・ZOPA・PICO・ETC)を読んでいると、より深く理解できます。

舞台設定

取り壊しが決まっているオフィスビル。そこに入居している僕のところへ、ビルの営業担当が「家賃を上げたい」と言ってきました。普通なら身構える場面です。大家のほうが立場が上に見えるし、しかも値上げ要求。多くの人は「大家は偉いものだ」と感じて、受け身になってしまいます。

でも、こういう相手こそ典型的なハードネゴシエーター(力で押してくるタイプ)です。前回学んだ通り、相手がハードでも関係ありません。こちらが常に冷静に、最強型で対応すればいい。では、三幕の劇を見ていきましょう。

第1幕:値上げ要求を、客観的な基準で受け止める

営業「家賃を今のに値上げさせていただきたいのですが」

倍です、倍。普通なら「冗談じゃない」とカッとなる場面です。でも僕はこう返しました。

「わかりました。なぜその価格なんですか?

営業「我々が算定した、昨年の相場の金額です」

「その金額の客観的な根拠はありますか?

営業「…(困った顔で)いくらならご検討いただけますか?」

第1幕はここで終わります。ここで効いているのが、ETCとCriteriaです。

– E(感情):こちらは常に冷静。「倍?何言ってんの」と内心思っても、「わかりました」と一度受け止める。怒っているのは相手の番。一度に一人しか怒れないルールで、自分は感情をマネジメントしている- C(コミュニケーション):「何言ってるんだ」とは言わず、「わかりました」と率直に一度受け取る。お茶を濁さない- C(Criteria=客観的基準):「なぜその価格?」「客観的な根拠は?」と問い返す。相手は「相場」としか言えず、根拠を用意していなかった

相手の「倍」という数字は、いわばアンカリング(高い基準を最初に提示して、そこから交渉を始める手口)です。昔、僕が中国でロレックスの偽物を見に行くと、原価40元ほどのものを「400元」と10倍の値から吹っかけてきました。多くの人はそこから値切って「80元なら」で買わされる。でも原価を知っていれば「33元でどう?」と粘って、その値で買える。ハードネゴシエーターは常に多く取ろうと吹っかけてくる。だから客観的な根拠を問うことが、アンカリングを無力化するわけです。

第2幕:逆に半額を要求し、「他の条件」を引き出す

ここで僕は、攻守を逆転させます。

「今年はコロナの影響で空室率が上がって家賃が下がっていると、新聞にありました。私は今の家賃の半額が妥当だと思っています」

営業「それはさすがに安すぎますよ!」(怒り出す)

「いえ、ただ半額を要求しているのではありません。他に考えられる条件はありませんか?」

営業「…(怒りが収まって)定期借家契約に変更してもらえるのであれば、金額の交渉は可能ですよ」

第2幕の肝は、Criteria と Interest です。

– C(Criteria):「新聞にあった」という客観的事実で半額を主張する。新聞に載っているのは事実なので、相手は「載っていなかった」と否定できない。だから強い- I(Interest=興味):「他に考えられる条件は?」と聞くことで、テーブルに載っていなかった相手の本当の興味——契約形態を変えたい(定期借家にしたい)——を引き出した

ここがこの交渉の分岐点です。最初は「家賃の額」しか議題になかった。でも「なぜ?」「他の条件は?」と興味を探ったことで、相手が本当に欲しいもの(定期借家契約)が見えてきた。前回の図書館の窓の話と同じです。立場(家賃の額)で争うのをやめ、興味(契約形態)を聞き出した瞬間、道が開けました。

第3幕:一緒に問題を解決し、ピザを大きくする

最後に、僕は相手の興味を満たす提案を、こちらから差し出します。

「このビルは取り壊すのですよね。4年後に新しくなる。その時には立ち退いてもらわなければならない。では、こういうのはどうでしょう。定期借家として複数年契約にしましょう。取り壊しが決まるまで解約しない特約を入れましょう。そうすれば立ち退きの問題もないし、途中で空室になることもない。ご安心なのではないですか?」

営業「…(驚いた顔で)上司と相談します」

そして後日——家賃は半額になりました。

第3幕で効いているのが、People と Options です。

– P(People)/T(思考):「彼らの問題は彼らが解決すべき」という前提を捨て、一緒に問題を解決しましょうという姿勢で、こちらから提案した。しかも、相手が出してきそうな提案(定期借家)をこちらから差し出すことで、相手の顔を立て、花を持たせた。営業は「いい提案をもらった」と上司に交渉できる- O(Options=ピザを大きくする):相手の利益は「家賃」だけではなかった。立ち退き料、引っ越し費用、空室リスク——こうした隠れた利害があった。「家賃を下げる代わりに、取り壊しまで居続けて空室リスクをゼロにする」という形で、お互いの取り分(ピザ)を大きくした。家賃という1枚のピザの奪い合いから抜け出したわけです

交渉全体を PICO・ETC で振り返る

この家賃交渉を、フレームワークで棚卸しすると、こうなります。

People(人)とETC– Emotion(感情):終始冷静。相手が怒っても、一人しか怒れないルールで自分はマネジメント- Thinking(思考):相手は「値上げしたい」という固執に囚われていた。その事象(値上げ/値下げ)ではなく、固執の起源から目をそらさせた- Communication:「わかりました」と率直に受け取り、相手を責めなかった

Interest(興味)– 相手の裏の興味は2つ。「家賃を上げたい」と「契約形態を変えたい(定期借家)」。後者は最初テーブルに載っていなかったが、聞き出して活用した。「上司に相談できるネタが欲しい」という営業個人の興味も満たした

Criteria(客観的基準)– 「客観的な根拠は?」と問い、こちらは「新聞に載っていた」という客観的事実で主張した

Options(選択肢)– 空室リスク・立ち退きという共通の関心ごとを見つけ、お互いが折り合える定期借家契約という選択肢でピザを大きくした

最初(第1幕)は「答えを一つに固執」していた——倍だ、半額だ、と額の奪い合い。それが第2幕で「ピザを大きくする」方向に転換し、第3幕で「一緒に問題を解決する」に至った。この流れこそ、ハード型でもソフト型でもない、最強型のネゴシエーションです。

ここで使った理論の体系は、BATNA・ZOPA・PICOの理論編にまとめています。

正直に言うと、僕はソフト派です

最後に一つ、白状しておきます。実は僕は根が素直で、放っておくとすぐ譲ってしまうソフト派なんです。「うちの予算これくらいで、もう限界です」と本当のことを言ってしまうタイプ。机を叩いて出ていくようなハードな演技は、正直あまり得意ではありません。

でも、だからこそフレームワークが効くんです。生まれつきの交渉上手でなくても、PICO・ETCを意識して、感情を冷静に保ち、相手の興味を聞き出し、客観的な基準で主張し、ピザを大きくする——これを順番にやるだけで、結果はついてきます。交渉が苦手だと感じている人ほど、型に頼ってください。型があれば、性格に関係なく戦えます。

交渉の発想は営業にも効きます。セールスファネルの記事へ。

まとめ

家賃を半額にした交渉から、学べることを整理します。

– 相手がハードに来ても、冷静に受け止める(感情のマネジメント)- 値上げ要求には、客観的な根拠を問い返す(アンカリングを無力化)- 自分の主張も、新聞などの客観的事実を根拠にする- 立場(額)で争わず、「他の条件は?」と相手の隠れた興味を聞き出す- 相手の問題を一緒に解決する姿勢で、こちらから提案して花を持たせる- 1枚のピザを奪い合わず、空室リスクなどを含めてピザそのものを大きくする

交渉は才能ではなく、型です。前回の理論編と合わせて、ぜひ次の交渉で一つでも試してみてください。「なぜその価格ですか?」「他に考えられる条件はありませんか?」——この2つを口にするだけでも、交渉の景色は変わります。


この記事は、僕が主宰するオンライン講座「スタバード」のネゴシエーション講義の内容をもとに書いています。MBAやハーバードで学んだ経営の核を、日本語でやさしく届けるために、「MBAに行かない人のための無料メール講座」をやっています。興味があれば、のぞいてみてください。

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