結論から言います。会社にはちゃんと「値段」があり、それは計算で出せます。 そして同じ計算が、M&A(企業の買収・売却)でも、スタートアップへのエンジェル投資でも、自分の事業をピッチする場面でも、まったく同じように使えます。
「100万円を投資したら、5年後に3,000万円になります」——ピッチイベントでこういう話を聞いたとき、それが本当か、根拠は何かを見抜けるようになる。それが今回のゴールです。使う道具は2つ、マルチプル法とDCF法。前回までのNPVとWACCがそのまま効いてくるので、ファイナンスの集大成のような回です。
その前に ── M&Aの成功確率は、実は25%しかない
道具の話に入る前に、現実を一つ。M&Aをして「投資のリターン(ROI)が上がった」と答えた企業は、調査では4社に1社、25%程度しかありません。会社を買うのは、それくらい難しい。
なぜ失敗するのか。インテグレーション(統合)がうまくいかない、企業価値を評価しそこねて高く買いすぎた、規制や経済環境の急変、ターゲット選定のミス…理由はさまざまです。だからこそ、失敗を避けるために学ぶべき核は2つに絞れます。「企業価値の正しい計算」と「インテグレーション」です。今回はこの2つをやります。
そもそもM&Aは何のためにやるのか ── シナジー
M&Aの目的は一言でいえばシナジー(相乗効果)、つまり「1+1を3にする」ことです。A社とB社をくっつけても、それぞれが今まで通りのパフォーマンスのままなら、買収する意味はほとんどありません。一緒になることで新しい価値が生まれてはじめて意味がある。
シナジーには3つのパターンがあります。
– 業務効率のシナジー ── お互いの業務が効率化する(オペレーションのシナジー)- 複合的なシナジー ── 業界2位と3位が一緒になって1位になるなど、規模を大きくして「規模の経済」を生かす(コングロマリット・シナジー)- 改善的なシナジー ── ボトルネックを解消して相手の業績を改善する(ノウハウのシナジー)
この3つのどれかを生むM&Aでないといけない。後半のダナハの例で、この「改善的シナジー」が思わぬ威力を発揮します。
企業価値の計算法その1:マルチプル法 ── まずPERを理解する
ではいよいよ「会社の値段」の計算です。1つ目はマルチプル法。類似企業のPERの平均から、その企業の株式価値を導く手法です。
ここでPERを理解しましょう。Price Earnings Ratio(株価収益率)の略で、株価 ÷ 1株あたり利益で計算します。単位は「○倍」です。EPS(1株あたり利益)とよく混同されますが、別物なので注意してください。
PERが意味するのはこうです。今の利益で、今の時価総額と同じ額を稼ぐのに何年かかるか。 PERが10倍なら、今の利益を10年分積み上げると今の時価総額に届く、ということ。つまり「何年で投資を回収できるか」の指標です。「倍」を「年」と読み替えると、ぐっと分かりやすくなります。
計算例:5年後の企業価値を出す
会社をこれから創業し、5年後に売上10億円・利益4億円を見込むとします。この業種の平均PERが15倍なら、5年後の企業価値は——
> 利益4億円 × PER15倍 = 60億円
売上は使いません。利益にPERを掛けるだけです。「5年後、この会社は60億円の価値になります」とピッチで言える。シンプルですね。
エンジェル投資の仕組み
では、この会社の今の評価額が2億円だとします。5年後に60億円になるなら、価値は30倍。ここに今100万円を投資して、5年後にM&Aで売却できたら——
> 100万円 × 30倍 = 3,000万円
100万円が3,000万円になる。これがエンジェル投資の基本的な枠組みです。ピッチイベントでよく見る「100万円が5年で…」という話は、この計算の上に成り立っています。聞いたときに、PERと成長見込みを確かめれば、その数字が妥当かどうか見当がつきます。
このPER(倍率)の感覚は、ピッチデッキの記事の「100倍・1000倍」の話ともつながります。
企業価値の計算法その2:DCF法 ── ここでWACCが効いてくる
2つ目はDCF法(ディスカウント・キャッシュフロー法)。マルチプルより少し複雑ですが、こちらが本来の主役です。
考え方はこうです。会社のバランスシート(負債・資本・現金・資産)のうち、事業価値を将来のキャッシュフローから求め、そこに現金を足し、負債を引くと、株式の価値が出ます。事業価値は次の2つの合計です。
1. 5年分のキャッシュフローを現在価値に割り戻したもの2. ターミナルバリュー(6年目以降、永続的に成長すると仮定した価値)
ターミナルバリューは、こう計算します。WACCを8%、永久成長率を3%とすると、
> 6年目のキャッシュフロー(4億円 × 1.03) ÷ (WACC 8% − 永久成長率 3%) = 82億4,000万円
ものすごく大きな数字に見えますが、これでいいんです。次に、1〜5年目のキャッシュフローと、この82億円を、すべて前回のNPVと同じ要領でWACC 8%で割り戻して足すと、
> 事業価値(現在価値) = 55億円
ここに現金1億円を足し、負債3億円を引けば、
> 株式の価値 = 55億 + 1億 − 3億 = 53億円
前回学んだNPVの割り戻しと、その前のWACCが、そのまま積み重なって企業価値になる。一つひとつの道具がつながっているのが分かると思います。
DCFで使う割引率WACCの中身は、WACC・MM・CAPMの記事で。
ここが核心 ── WACCを1%下げると、価値が17億円増える
前回「WACCを下げると企業価値が上がる」と予告しました。ここで回収します。
さきほどの計算でWACCを8%としましたが、これを7%に1%だけ下げて同じ計算をすると、事業価値は55億円から72億円に跳ね上がります。
> たった1%の差で、企業価値が17億円増える。
事業の中身は何も変えていません。割り戻す数(WACC)を1%下げただけです。だから経営者は、ある会社のCEOに就任したら、負債を適切に増やしてレバレッジをかけ、WACCを下げる。それだけで会社を高く売れる。「数字のマジック」と呼びたくなりますが、これは魔法ではなく、WACCが割引率だという仕組みから必然的に出てくる結論です。数字を知っているかどうかで、会社の値段がこれだけ動きます。
マルチプルとDCF、どう使い分けるか
両方使うのが基本ですが、性格が違います。
マルチプルは簡単で分かりやすい(4億円 × 15倍 = 60億円)。ただし途中を無視します。 5年後だけ見て、その間に一時的に30億円の赤字が出ようと、評価に反映されません。途中の年もきちんと見たいなら、DCF法です。
ただしDCFにも弱点があります。赤字が積み上がる事業は、DCFだとうまく評価できない。 ようやく黒字化しても、その前の赤字が重くのしかかって、価値が出にくいのです。
ここで面白いのがソフトバンクのビジョンファンドです。彼らはあえてマルチプル法を使っているとされます。事業が軌道に乗って黒字化した時点の予想フリーキャッシュフローに、GAFAなど新興上場企業の平均であるPER25倍(日本の東証一部平均も約20倍で近い)を掛けて時価総額を出す。そして自分たちが設定した割引率30%(IRR)で割り戻し、割安なところに投資していく。
DCFだと赤字続きの企業は評価できないけれど、その赤字を切り抜けたら大きな価値になる企業を見出すために、あえてマルチプルを使って割り戻している。ここはお見事だと思います。基本はDCF、しかし利益の出ない業種に投資するときはマルチプル、という使い分けの好例です。
インテグレーション ── 買った後にどう価値を生むか:ダナハの例
価値を計算できたら、次は買った後です。M&Aの成否を分けるインテグレーションを、ダナハ(Danaher)という会社で見ましょう。
ワシントンDCの企業で、医療診断機器・ライフサイエンス・工業生産などを手がけ、従業員7万1,000人、売上約2兆円、利益3,000億円(2020年)。カメラレンズのライカもダナハグループです。何がすごいかというと、30年で400件を超えるM&A。 月1件以上のペースで会社を買い続け、株価は過去40年で2,400倍(配当込み)、年平均成長率20〜30%。M&Aで巨大化した、おそらく最も成功した会社の一つです。
ここで先ほどの3つのシナジーを思い出してください。400件も買っていると、つい「規模の経済を生かす複合的シナジーだろう」と考えがちです。でも、ダナハは違います。改善的シナジーなのです。
ダナハにはDBS(ダナハ・ビジネス・システム)という仕組みがあります。買収した会社の経営陣に、まず座学で経営の型を教える。成長戦略(ストラテジー・マーケティング・ファイナンス)、無駄をなくす(オペレーション・セールス・サプライチェーン)、リーダーシップと評価のプログラム。これらを学んだうえで、実際の現場で経営を改善させる。さらに事業成長・利益率・資本利益・財務・納期・顧客満足度・定着率など8つのKPIで徹底管理する。
要するに、調子の良くない会社を買ってきて、その経営陣にMBA相当の知識を授け、一緒に成長させる。 これがダナハのモデルです。元CEOのラリー・カルプ(年収106億円、現GE社長)は、7万人の全社員に毎日「改善」についてのメッセージを送り続けたそうです。「夜9時、私のチームは工場で機械の新しい配置を試している」といった具合に。社員は刺激を受け、改善が企業文化として根づいた。
(正直に明かすと、僕が運営する企業向けプログラムは、このダナハ・ビジネス・システムをお手本にしています。買収した会社の役員に経営の型を教えて業績を上げる、という発想がとても美しいと思うからです。)
企業価値の土台は、フリーキャッシュフローの記事とNPV・IRRの記事にあります。
まとめ
今回のM&A・企業価値評価を整理します。
– M&Aは事業承継に大切なプロセス。ただし成功確率は25%程度と難しい。だから「正しい価値評価」と「インテグレーション」が鍵- 企業価値の計算はマルチプル法(利益 × PER。簡単だが途中を無視)とDCF法(将来のキャッシュフローをWACCで割り戻す。本来の主役だが赤字事業に弱い)- WACCを1%下げるだけで企業価値が17億円動く。 経営者が会社の価値を高める最大の手綱- 買った後のインテグレーションこそ難所。ダナハは「改善的シナジー」で30年400件・株価2,400倍を実現した
NPV(投資判断)→ WACC(資本コスト)→ 企業価値評価、というファイナンスの王道を、これで一通り歩きました。この3つが分かれば、自分の事業計画も、人のピッチも、新聞の決算記事も、ぐっと立体的に読めるようになります。お金には時間の価値があり、その価値は計算できる——この感覚を、ぜひ自分の武器にしてください。
この記事は、僕が主宰するオンライン講座「スタバード」のコーポレートファイナンス講義の内容をもとに書いています。MBAやハーバードで学んだ経営の核を、日本語でやさしく届けるために、「MBAに行かない人のための無料メール講座」をやっています。興味があれば、のぞいてみてください。